ネットウヨが敵前逃亡した瞬間 | 本宮ひろ志先生を支援する勝手連(通常時・ネット右翼問題を考える国民会議)

ネットウヨが敵前逃亡した瞬間

以下は、ネットウヨが

「証拠見せろよ。何時何分何秒地球が何回回ったとき???」

と絶叫したにも関わらず、動かぬ証拠をみせられ、敵前逃亡した貴重な瞬間です。
尚、このネットウヨそれ以来どこにも見かけないそうです。

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人肉食を勧めた 陸軍国賊参謀 辻正信

人間が人間を食べる・・・。

 たしかに、聞くにいたましく恐ろしい話である。耳を塞ぎたくなる。聞いた話をそっくりそのまま耳から捨て去りたい衝動にかられる。

 人間が人間を食べたことについて、元後方参謀中尉からこんな話を聞いた。  「アメリカハムっちゅうてね・・・アメリカ兵の人肉を食べたことがありましたよ・・。飛行士でした。イギリス軍に配属になっておった兵士です。単座偵察機できたのを撃ち落としたんですわ。ところが、墜落したところにいったら生きておったんですね。参謀がすぐに調書を取って資料を作った。

 その後ですよ・・・おまえ、川で体を洗ってこいといって洗わせましてね、その後、そいつの首をはねた。辻正信参謀でした。死んだ体の肉をそぎ、腿の肉を塩漬けにしたんです。  わたしがそれを知ったのは、一カ月ほどしてです。瓶の中に入れて落とし蓋をし、その上に石がのっけてあった。その塩漬けの腿の肉を取り出してジュージュー焼いて、おまえも食べろっちゅうわけですよ。焼く前は、薄いきれいなピンク色をしておった。私はとても食べられん、かんべんしてくれって言いましたら、敵愾心が足りんと怒られましてね。辻参謀は、作戦主任参謀で、強い人だった。戦況の偵察に、自分で第一線まで出かけていって確かめる行動力のある軍人でしたよ。日本が降伏すると知ると、なぜ最後まで戦わんのかと、あのときはそりゃ大変でしたわ」

(西野留美子「従軍慰安婦と15年戦争」明石書店)より

日本の兵隊で敵の捕虜になるような腰抜けは一人もおらん。そのような時には、「死して護国の鬼になっておる」と云って引取らなかったのが関東軍参謀の辻正信である。石川県出身、関東軍参謀として、ノモンハン事件で強硬論を主張、一個師団壊滅の大敗をもたらす。ところが、この戦闘の責任者である辻正信少佐は、いったん転任したのち、東京の参謀本部の要職に復帰し、大東亜戦争の作戦指導に当たったのだ。あの、ガダルカナルの戦いの際、参謀として陸軍を指揮したのも、辻正信。 戦後参議院議員に。そして、1961年ビルマに行って行方不明になっている。
投稿者:死ぬのはやつらだ at 12:44



ライトバック


チソコ
後方参謀中尉ってなに?
参謀って、少佐以上の人しかいないはずだけど。
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 07:41:13



参謀って、少佐以上の人しかいないはずだけど??

いないはずなのはお前の脳みその中だけ
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 08:45:25





チソコ
参謀って、どういう人がなるか知ってますか?
単に、軍隊の階級のことすらわかっていない奴が作った作り話だと思いますけどね。

たまに、大尉の参謀ってのは、聞いたことがあるけど、それだってかなり珍しいのに。

一応、証拠です。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/sosikizu/D016.htm

帝国陸軍の編成表で、後方参謀・○○中尉なんて書いてあるのがあったら見せてください。

あと、
「イギリス軍に配属されていたアメリカの飛行士」ってのも、太平洋戦線ではいないと思いますけど。
逆なら、わかりますけどね。
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 12:55:51



↑馬鹿です
旭輝雄(元海軍第22特別根拠地隊部内限砲術参謀

その時はまだ私は中尉だった。「中尉の分際で」と言う事もあ
ったが、4月14日に「旭中尉は明日、第二南遣艦隊(以後、二南遣と略記)司令部に出頭せよ」軍命を
受けた。二南遣司令部に出頭すると22根司令部付きとなるための幕僚教育を受けた
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 20:53:09



(秦郁彦「昭和史の謎を追う(下)」文芸春秋)
千葉大の秦教授は、戦時中の父島事件を中心に、皇軍のカニバリズ
ムを次のように分析しています。

           -----------------------------
  第二次大戦でカニバリズム(人肉食)が登場するのは、太平洋戦線の日本
軍だけのようだ。大小の離島に置き去りにされ、飢餓の淵をさまよう戦争は、
日本軍にも初経験であった。200万を超える戦没者の7割前後が広義の飢餓
によって倒れたとする試算もあるくらいだが、実数は確かめようもない。
  指揮系統が切れ、軍規が崩壊した前線の末端でカニバリズムが横行したと
いう風聞は、決して少なくない。ニューギニア、ガダルカナル、フィリッピン、
インパール戦線の従軍記には、この種の内輪話がよく出るが、事柄が事柄なの
でほとんど間接話法で語られている。

  東京裁判には、ニューギニア戦線で1944年12月、第18軍司令官か
ら「連合軍の屍肉を食うことは許すが、友軍の屍肉の場合は処罰する」旨の軍
令が発せられ、該当する4名の兵が処刑された事実が報告された(1946.12.11
法廷記録)。
  それ以上の詳細は模糊としてつかめないが、カニバリズムが連合軍の法廷
で裁かれたのは父島事件だけであり、それも飢餓という極限状況下の事件でな
かっただけに人々を驚かせた。
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 20:58:08



陸軍初の軍閥 桜会


結成は昭和5年の9月頃であったと言われる。
発起人は橋本欣五郎(砲兵中佐)、坂田義郎(歩兵中佐)、樋口季一朗(歩兵中佐)などの10数人であった。
なぜ、わざわざ階級まで書いたのかというと、桜会は完全なる少壮幕僚によるグループであり、具体的に言うと中佐クラスまでしか会にはいることは出来なかったのだ。
昭和陸軍初の派閥である。まぁ今まで一夕会とかあったが、一つの組織的な政治活動などを行ったのは桜会が初めてである。

結成当初の会員数は96名であった。
彼らを配置別に分類してみると

■陸軍省 9名
■参謀本部 38名
■教育総監部 2名
■陸軍大学校(在籍中) 15名
■憲兵司令部 7名
■そのほか 25名

となっている。

参謀本部にこれだけの人員がいるのはすごいことである。
桜会はほとんど参謀本部所属の陸大卒少壮将校(中堅幕僚)によって構成されていたと見ていいだろう。
ついでに、桜会の者で陸大を出ていない、陸士あがりの課員が2人いる。秋草大尉と天野中尉である。
この二人は陸大を出ていないのに参謀本部に配属されたということから相当な実力をもっていたようである。
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 21:04:59