[AML 転載] 実事求是: チベット問題 ダライ・ラマ CIA | 本宮ひろ志先生を支援する勝手連(通常時・ネット右翼問題を考える国民会議)

[AML 転載] 実事求是: チベット問題 ダライ・ラマ CIA

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『以下、ニュースというよりは歴史的事実ですが、CIAはいわゆるチベット問題に対して50年代半ば(つまり59年のラサ事件より以前)から、70年代半ば(つまり中国と国交正常化)まで、物資、兵站のみならず、ラサ事件時にはダライ・ラマ14世の逃亡を手助けしたり、さらにはアメリカ合衆国(以下、米帝と略称)国内の二箇所の基地でチベット人工作員約3000人を訓練しチベットへ投入するなどの介入工作をしていたそうです。現実主義路線のキッシンジャーがこの計画を最終的に中止させたそうです。

以下がCIAチベット工作を取り扱ったモノグラフ
The CIA's Secret War in Tibet (Hardcover) by
Kenneth Conboy, James Morrison
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0700611592/qid=1122727634/sr=8-1/ref=pd_bbs_1/002-3078814-4851224?v=glance&s=books&n=507846

ネットはありがたいもので、以下のサイトで同書を無料で読むことができます。
http://www.american-buddha.com/cia.secret.war.abol.htm
http://www.american-buddha.com/cia.secret.war.htm

同書の翻訳は日本のみならず、独・仏語圏でもまだないようです。翻訳大国である日本でまだ訳書がないのはいささか奇異な感もしますが、このMLには出版関係のお仕事に従事されてる方もいるのであれば、なかなか良書でもあるようなので、ぜひ訳書の出版を企画していただきたいものです。

同書のなかには、こんな写真まであります。ちなみに学生の工作員と説明されてます(「学生」というより年端もいかぬ洟垂れ小僧といったほうが正確な感じがしますが。)《女子供》も工作員として使うのはゲリラ戦の大道といったところでしょうか?
http://www.american-buddha.com/secretwar3rd-2.jpg

SFFチベット人落下傘部隊の記念撮影 なおSFFの9割がネパールの出撃基地へ帰還しなかったそうです。
http://www.american-buddha.com/asecretwar50a.jpg

ダライ・ラマ14世が秘密チベット人部隊SFF(secret
frontier force)を閲兵している一コマ
http://www.american-buddha.com/asecretwar53a.jpg

こうしたCIAとの関連について亡命政府の公式サイトに説明はありません。
http://www.tibethouse.jp/cta/

ダライ・ラマ氏は、ある意味で「自由の戦士」から神秘的な「平和の使者」への「転身」に成功した元自由の戦士であり、現在はテロリストとしてオタズネ者であるウサマ・ブン・ラーディン氏の先駆者かつポジだった(ブン・ラーティン氏はネガ)といえば皮肉にすぎるでしょうか。

ともかく、ケルゼン的な規範主義、つまりイデオロギー的・道徳的に「正しい」のではなく「正当化された」法的手続き過程そのものを民主主義と人権概念の要諦とする立場に対して、法と道徳を無媒介に短絡させた上で、対外的な法措定の暴力行使を是認する政治的立場をブルジョワ民主主義における人権原理主義と仮に規定すれば、米帝はまさにそうしたイデオロギーを信奉する「原理主義国家」となるでしょう。

そんな見方からすれば普遍的な理念たるブルジョワ革命(米帝のいういわゆる「民主化」)の輸出政策は、イラク戦争にはじまったわけではなく、冷戦開始時から続いているというわけでしょう。(もちろん人権問題における規範主義も、例外状況としての国家暴力の発動から自由なわけではなく、逆にこの例外状況との絡み合いから垣間見られる力こそが、法の規範性を成立させていると見ることができるわけですが。たとえば99年NATOによりおこなわれた「ユーゴ空爆」に典型的に見られるように。もっとも「人道的介入」にまつわる諸問題をここではこれ以上論じるつもりはありませんが。)

その意味で、CIAとの協力関係にもとづくチベット亡命政府の武装闘争は、きわめて興味深いものです。つまり米帝はチベット問題において、特殊な権力政治の偽装にすぎない普遍主義=「道徳の政治化」を実践し、対してチベット・サイドは敵を宗教上の「悪」として断罪する「政治の道徳化」を遂行していたという意味で。

話がそれました。「トゥルク(活仏)」ダライ・ラマ氏は、チベット仏教のイメージにかこつけたオリエンタリズムと、非武装平和リベラル政治路線のイメージを現在、その政治的武器にしているわけですが、法の支配にもとづく近代国民国家(マルクス主義用語でいえば「ブルジョワ国家」))創設に、暴力とその暴力装置(警察、国軍)の創設そのものがともなうことは構造上必然的であることを鑑みれば(法(レヒト)措定とは同時に権力(マハト)措定であり、権力の源泉とは暴力(ゲヴァルト)装置とイデオロギー装置ですから)、チベット民族独立運動のなかにも武力解放路線派がいた(いる)ことは必然でしょう。(抽象的にいえば、民族主義的な抵抗《運動》そのものが暴力装置を発生させ、人民の力能が法の支配とういう媒介を経ることを通じて弁証法的に転倒・物象化されるにつれ、支配従属関係も転倒し《運動》そのものが国家の捕獲・暴力装置としても機能しはじめる、といえましょうか。近代ブルジョワ革命においてこの転倒の過程はいくども反復されたわけですが。)とすれば、省港さまによれば軍国主義のテーゼとされる(もっとも「軍国主義」という言葉で省港さまが何を言っているのかぼくにはいまいち理解できなかったのですが)マオのテーゼ「鉄砲から政権が生まれる」は、チベット民族独立運動の視点からみても経験則として妥当するでしょう、「鉄砲」を現存する近代国民国家の創設時に遂行される法措定の暴力として、「政権」を近代ナショナルステートとして理解すれば。(注) 』