本宮ひろ志先生を支援する勝手連(通常時・ネット右翼問題を考える国民会議) -50ページ目

ネット右翼の非人道的言動を弾劾









以下は、南京大虐殺はなかったというのは嘘と主張するブログで掲載された

「否定派のウソ」と「事実」大谷 猛夫

を読んだネトウヨの感想文です。あまりに惨めにつき私のコメント無しで。それにしても反論放棄したのは疲れたんでしょうか。

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否定派のウソ 1
 「戦後の東京裁判で連合国がでっち上げた」

「事実」 1937年12月、南京は中華民国の首都であり、諸外国の公館も存在し、外国の報道機関も存在した。虐殺の報道は世界をかけめぐった。日本の外務省も軍も当時から知っていた。当時の外務省東亜局長石井猪太郎が回顧録でこのことを書いている。だいたい軍が知らないということはあり得ない。
1937年12月15日以降多くの欧米の特派員が南京の事態を世界中に打電している。とくにイギリスの「マンチェスター・ガーディアン」の中国特派員ティンバリーは1938年8月に「戦争とは何か・・・中国における日本軍の残虐行為」を出版し、日本語訳も中国語訳も出版されている。日本の外務省はこのティンバリーの上海発の電報を押収し、南京その他で30万人を下らない中国民間人が殺されたと述べていることをワシントンの日本大使館に情報として伝えている。戦後の東京裁判で、はじめて日本が知ったわけではない。
 
否定派のウソ 2
 「東京裁判の証拠資料は伝聞ばかりで、直接証拠はない。マギー牧師の証言は虐殺をみたのは1件だけだと言っている」

「事実」 マギー牧師はけが人や強姦の被害者の救済をしていた。殺害現場に立ち会わなかったのは当然。いわゆるマギーフィルムが殺害現場そのものの映像がないのは当然のことである。もし殺害現場を撮影していたら、日本軍はマギー牧師をそのままにしておかなかっただろう。むしろたくさんの被害者の映像記録を残している。このことの方が重要な証拠。
 東京裁判でも11人の証人が証言し、南京安全区文書・南京裁判所検案書・慈善団体の埋葬記録・ラーベの書簡・アメリカ大使館の文書・在中国ドイツ外交当局の報告書などが東京裁判で採用された。


否定派のウソ 3
   「当時、国際的な批判はなかった」

「事実」 1937年9月から10月にかけての国際連盟総会は日本軍の中国侵略そのものを非難している。当時日本はすでに国際連盟を脱退し(1931年の柳条湖の事件をめぐっての国際連盟決議を不服として)ていて、国際的な孤立状態にあった。1937年9月というと南京陥落前であったが、南京爆撃を国際連盟の決議は非難している。つまり日本軍の中国侵略そのものを非難しているのである。南京大虐殺というひとつの事件に対する非難がないからと言って国際批判がないというのは当たらない。
ドイツ人ラーベは南京安全区国際委員長として日本軍が占領した南京に止まり、市民とりわけ女性を日本軍の暴虐から守るために奮闘した。ラーベは1938年2月、帰国命令を受けベルリンに戻った。ラーベはナチス党員であったが、南京での日本軍の残虐行為をヒトラーはじめドイツ政府の指導者に知らせた。そしてヒトラーあての「南京事件・ラーベ報告書」を提出した。


否定派のウソ 4
 「蒋介石も毛沢東も南京のことは問題にしてない」

「事実」 1938年7月(南京陥落後)<日中戦争1周年>に蒋介石は「日本国民に告げる書」で日本軍の放火・略奪・虐殺を非難している。「南京」という名指しはないが、この時点で中国大陸における大規模で集団的な略奪・虐殺は南京以外に考えられない。蒋介石はこのことを念頭に書いている。次のように書かれている「・・わが婦女同胞に対する暴行がある。10歳前後の少女から5,60歳の老女までひとたび毒手にあえば、一族すべて逃れがたい。ある場合は数人で次々に辱め、被害者は逃げる間もなく呻吟して命を落とし、ある場合は母と娘、妹と兄嫁など数十人の女性を裸にして一同に並べ強姦してから惨殺した。・・・このような軍隊は日本の恥であるだけでなく、人類に汚点をとどめるものである・・・」
毛沢東は1938年1月週刊誌「群衆」で「南京大虐殺は人類に対する犯罪」と述べている。その内容は次の通りである。「・・・9・18に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世のともに知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未嘗有の血なまぐさい残虐な獣行記録をつくることとなった。これは中国の全民族に対する宣戦にとどまらず、全人類に対する宣戦でもある。敵の凶悪な残忍さは、人道と正義を血で洗い、全世界・全人類の憤怒と憎悪をよびおこした。・・・」


否定派のウソ 5
 「南京の人口は20万人しかなかった。だから30万人も殺せない」

「事実」 否定派が20万人というのは南京安全区委員会が1937年12月17日付け文書で「もし市内の日本兵のあいだで直ちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者がでることはさけられないでしょう」と書いてあることによる。しかし、これは南京陥落後の安全区内に非難収容された人にかぎった数であり、南京大虐殺以前の南京市の人口ではない。 南京市は「城区」(市部)と「近郊区」(県部)にわかれる。城区に限っても1937年11月23日(日本軍制圧直前)に南京市政府が作った文書には人口約50万人となっている。さらにこの後、避難民の流入もあり、日本軍に包囲された中国軍の兵士も15万人いた。戦前、城区の人口は約100万人、近郊区の人口は約130万人という数字がでている。そもそも30万人殺したか1万人殺したか数が問題なのではない。日本軍の残虐行為があったかなかったかの問題のはず。


否定派のウソ 6
 「南京虐殺の目撃者はいない」

「事実」 全体像をみたものなど誰もいない。しかし1937年12月から翌年はじめにかけて南京城区・郊外で強姦、虐殺、略奪がおこったことは確かである。自分のまわりにおこったできごとを「目撃」して生存している人はたくさんいる。中国では幸存者といい、その目撃証言を大事にし記録している。日本政府を訴えている李秀英さんは日本軍の兵士に強姦されそうになり、全身にたくさんの傷を負った証言をおこなっている。この李さんを「ニセモノ」よばわりする人物が書物をあらわしているが、李さんは名誉毀損で提訴している。


否定派のウソ 7
 「李秀英さんの証言は食い違いあり。嘘だ」

「事実」 南京虐殺を否定する人は李さんの証言を直接聞いている人はほとんどいない。ニセモノだという人たちも伝聞で書いている。60年以上前のことを前後関係も数字もきちんと覚えていることの方が不思議である。何ケ所刺されたかなど「刺された人」が数えているはずもない。全体として李さんが体験したことに真実をみいだすべきである。マギーフィルムにも李さんが病院で治療している映像が収録されている。ことさら証言の細部にくいちがうことがあるからと言って「南京大虐殺」そのものをなかったことにしようという「よこしまな」意図が働いているとしか言いようがない。


否定派のウソ 8
 「百人斬り」というのは捏造記事」

「事実」 戦闘で斬ったというのは「ウソ」であるが、それよりひどいことをした。捕虜を斬った。戦闘行為ではなく、降伏してきた無抵抗の中国兵を斬った。これ自体とんでもないことである。もちろん南京虐殺を否定したことにはまったくならない。


否定派のウソ 9
 「遺体埋葬記録は信用できない。たくさんの人は死んでいない」

「事実」 紅卍会という宗教団体が埋葬した記録をつくっているが、1937年12月から翌年3月にかけて南京市内で4万体以上の死体を埋葬した記録がある。(正確には40371体)この記録は他のいくつかの記録とも符号していて、信憑性の高いものである。また崇善堂という慈善団体も埋葬の行動をしており、これは11万2266体と記録している。その大半は1938年4月に南京城外で10万5千体を埋葬したとなっている。その時期までに城内の死体埋葬はほぼ終了していた。崇善堂は数千の死体埋葬をすませていた。4月になると気温も上昇し、死体の腐敗もすすむという状況になったので、それまで死体に軽く土をかけただけのものなどが城外に放置されていた。
 これ以外に日本軍が揚子江に流してしまった遺体などは記録されていない。


否定派のウソ 10
 「とらえた捕虜が暴動をおこしたので、仕方なく発砲した」

「事実」 1937年12月13日の戦闘で1万8千人の中国兵が無抵抗で捕虜となった。16日に捕虜収容所内でボヤが発生したが、捕虜の逃亡も銃撃もなかった。この夜、軍命令で揚子江岸の魚雷営で2千人から3千人が試験的に虐殺され、死体はその夜のうちに揚子江に流された。残りの捕虜を翌17日に上元門から約2キロ下流の大湾子で虐殺した。この日の虐殺は大量だったため、薄暗くなるころからはじまった虐殺が18日の明け方まで続いた。そして、死体処理には18・19日の2日間かかった。大量の死体は揚子江に流された。[3]


否定派のウソ 11
 「日本軍が殺したのは、民間人のふりをした「便衣兵」であり、投降兵である。正当な戦闘行為」

「事実」 南京陥落前に主要な中国軍部隊は蒋介石とともに南京を離れている。南京陥落後に南京に残された中国兵は戦意を喪失しており、ほとんど日本軍への攻撃はなかった。南京陥落直後の南京で撃墜された日本軍機の搭乗員の遺体捜索活動に従事した奥宮正武の記述である。「便衣兵あるいは便衣隊といわれていた中国人は、昭和7年の上海事変の際はもとより、今回の支那事変の初期にもかなり積極的に日本軍と戦っていた。が、南京陥落直後はそうとはいえなかった。わたしの知る限り、彼らのほとんどは戦意を完全に失って、ただ生きるために軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。したがって彼らを通常いわれているゲリラと同一視することは適当とは思われない。」(「私のみた南京事件」PHP研究所1977年)
 

否定派のウソ 12
 「南京虐殺は日本軍の仕業にみせかけるために中国軍の反日攪乱工作隊がやった」

「事実」 南京に潜伏した中国軍の兵士がいたのは確かだが、用心深く潜伏していることが重要であって、攪乱するなどという状況になかったことは明白である。こういうことを発想すること自体「妄想」のたぐいである。

「ニューヨークタイムズ」のダーディン記者の報告。

「南京に知勇国軍最後の崩壊が訪れた時、人々の間の安堵の気持ちは非常に大きく、また南京市政府及び防衛司令部が瓦解した時の印象はよくなかったので、人々は喜んで日本軍を迎えようとしていた。しかし、日本軍の蛮行がはじまると、この安堵と歓迎の気持ちはたちまち恐怖へと変わっていった。日本への憎しみをいっそう深く人々の心に植え付けた。」(「ニューヨークタイムズ」1938/1/9)


否定派のウソ 13
 「南京大虐殺の写真はニセモノばかり」

「事実」 日本の軍隊に従軍して写真をとっていた従軍カメラマンはたくさんいた。南京戦では200名をこす新聞記者やカメラマンがいた。しかし、撮影も報道もしていない。厳しい陸軍の検閲があったからである。「左に列挙するものは掲載を許可せず」といい、・・・我が軍に不利なる記事写真・・・というのである。これでは「我が軍に有利な写真しか」載らない。南京安全委員のマッカラムは日記に書いている。「1938年1月8日、難民キャンプの入口に新聞記者がやってきて、ケーキ・りんごを配り、わずかな硬貨を手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじのぼり、構内に侵入して10名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は一枚も撮らなかった。」
しかし、平站自動車第17中隊の写真班の村瀬守保氏は輸送部隊であったために比較的自由に写真を撮り、検閲もうけなかった。戦後「一兵士が写した戦場の記録」という写真集をだしている。この中には南京大虐殺現場の生々しい写真が何枚か収録されている。「虐殺された後、薪を積んで油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが民間人でした」のキャプションがついたものがある。


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以下は先ほどの文章を読んだネット右翼のコメントです。
上記写真は日本軍の蛮行で殺される寸前の中国の人でした。抗日のため命を張った英雄の虐殺される無残な姿。いや非武装の一般人だった可能性すらありますが。
彼らの家族の前でも同じことを彼は言えるのでしょうか。





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とっくに決着のついた、60年前の大東亜戦争の戦闘で、サヨクがオナニーをしています(w
なぜ、サヨクが南京戦で大虐殺があったことにこだわるといいますと、日本人を叩く材料が他に無いからなんですね。

戦闘で負けた側が虐殺されるのは、珍しくありません。ていうか、虐殺の無い戦闘のほうが珍しい。戦闘に負けたほうは虐殺される。だから戦争は勝たなくてはならないし、勝つ側につかなくてはならない。というのが歴史の教訓です。

すでに賠償も終えた過去の事件に関して、現代の日本人が謝罪したり悔やんだりする必要は全くありません。
中国共産党やそのシンパのユスリ・タカリには応じないようにしましょう。

>否定派のウソ 8 「百人斬り」というのは捏造記事」
>「事実」 戦闘で斬ったというのは「ウソ」であるが、それよりひどいことをした。
捏造記事でることへの反証になっていないのですが・・・。

ところで、南京で虐殺された人々の遺体はどこにあるのですか?

>南京市内で4万体以上の死体を埋葬した記録がある。(正確には40371体)この記録は他のいくつかの記録とも符号していて、信憑性の高いものである。

この調査記録にしたがって発掘調査を行えばいいのに。
なんで、中国共産党政府は行わないの?

>そもそも30万人殺したか1万人殺したか数が問題なのではない。日本軍の残虐行為があったかなかったかの問題のはず。

戦争に虐殺行為はつきもの。肯定派が一方的に日本軍を悪者にしていることがおかしいんですよ。もっと戦争の実情を学びましょう。

ところで、虐殺といえば、日本軍撤退後の中国内戦や、共産党による虐殺の方が遥かに規模が大きく、残虐です。
なぜ、サヨクがこれらを無視するのかというと、彼らはいまだに共産主義や社会主義の幻想から抜け出せないでいるからです。
左翼思想が非現実的な妄想であることを認められずに、普通の人々にネットウヨクや右翼のレッテルを貼り付けて、自分達の優越感を守ろうとする哀れな人たちなんです・・・。
(昔は、左翼思想は進歩的で、左翼にあらずんば人にあらず。という時代があったのです。結局、左翼思想は世界中で数々の大虐殺事件を起こし、無茶苦茶な経済思想で人々を苦しめただけでした。)



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ネット右翼の敗戦の弁

実は某平和問題のブログでこのような記事があった。


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遅れてのお知らせですいませんが、ただいまコメント投稿不可にしています。なぜかというと「このサイト釣りだろう」などという不毛な書きこみや私の日記とはまったく関係のない話題についてのコメントばかりでこれではコメントを自由に書いてもらうのは無意味。意見があればトラックバックなどで責任をもって自分の言葉で書いてもらおうと思いまして。

しかし来たトラックバックが一件でしかも内容が「自慰」などという低俗な言葉を使ったものとは・・・。正直親御さんの顔が見てみたいという気がしますね。こういう言葉を公共の場で使う破廉恥さ。これは思想に関係なく常識ある方なら使わないでしょうに。

ところでコメントを注意して読むと、こういう書きこみがありました。私が三笠宮様の話を日記に書いた時のことです。

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歴史修正主義者の青年 XXXXXXさん
では私は違います。おっさんです(笑)

満州事変を語られていますが、あなたの言う満州事変の中の盧溝橋事件ありますよね?
一般的には「日本の策謀」と言われていますが。
ですがなぜ周恩来など歴代の中国共産党のトップは「盧溝橋事件は中国共産党の策謀であり、それが成功した為今日の中国共産党の繁栄がある」と言った事をコメントしてるんですかね~。劉少奇ってどこの国の人?日本人?
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なぜ三笠宮様の話でいきなりこういうコメントを書くのか私にはよく理解できないのですがそれにもまして、

『周恩来など歴代の中国共産党のトップは「盧溝橋事件は中国共産党の策謀であり、それが成功した為今日の中国共産党の繁栄がある」・・・・』

という件がさっぱり分からなかったのですが、わざわざある方がメールで教えてくださいまして、これは「中国共産党陰謀説」といって、各掲示板でときどき見られる書き込みだそうで、なんでも眉唾物の話だそうです。

それについて、保守系の学者である秦郁彦氏の著書などを使った良質のサイトもあるそうで今日はそれを紹介します。こちらです。


http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/rokoukyou/inbou1.html


それと情報提供してくださった方、本当教えていただきありがとうございました。それではまた暇なときに。

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それに対して何と名指しされたネトウヨは自分のブログでこのような珍妙な反論をしているのである。↓





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某日記にて私を名指して失笑を買うとしか思えない反論をしていたが、不思議と書き込みは禁止になっていた(笑)
彼らの得意技「書き込み禁止」
やはりこう出たか・・・との思いしかない(苦笑)

まだ左翼思想でも議論に答える方なら、正直その方の思想は別としても人間としては、正直で真面目な方との印象を持つ。
それに9条改憲問題などは、彼らの言いたい事は分からない訳ではないが、現実問題としては、賛同しかねないが、彼らの理想論は理解できる。

愚か左翼とは、大戦時における捏造された数々の事柄を「真実だった」と声だかに叫ぶ者の事を指す。
彼らの言い分は、はっきり言って今の中国政府は迷惑との印象を持つだろう。中国政府は江沢民から胡錦濤に移り体外政策を敵視政策から友好政策に方向転換しているのである。
彼らが意図的に旧日本軍は悪と煽る行為は中国政府としては迷惑だろう。本音は黙っといて欲しいのが本音と思う。
ただですら中国は日本の強硬姿勢に困っているのが見え隠れする。今では中国は貿易立国として自国経済を成長させ、グローバル化の進む経済に追従しているのは明白だ。その過程においての貧富の差を国民が外に目を向けさせる為に日本を敵視した反日教育などを実施したが、国内のみならず日本国民にも反中の感情が芽生えた事は意図した事とは思えない。
理想は中国の言う事を聞く経済大国のままが中国の理想とする日本国だろう。
中国の政策転換を知っているのか知らないのかは分からないが今だ捏造が証明されている旧日本軍の悪逆行為の数々を「真実だ」と声だかに叫ぶ者には、何を考えているのか正直疑問には思う。

まぁ世界経済や世界情勢などがさっぱり理解出来ない奴らばかりで「アメリカが何した!?」には異常に敏感な奴らだから仕方ないか(笑)

そう言えば、本宮ひろし君と集英社は謝罪するとの事です。
南京での不適切な表現があったとの事で。
もはや時代は変わったとの印象を受ける出来事である。
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①トラックバックは禁止されていないのにそれには触れず。

②彼の主張が眉唾で、しかも「歴代の中国首脳が・・・」というところはまったくのでまかせであることが明らかになったのに何と!!ウソツキは左翼だと言っている!!

③中国の首脳にあったこともないのにその思想まで把握するとは超能力者に違いない。

④元のブログにはアメリカの一文字も書いていないのに妄想で決め付け。

⑤世界経済に左翼が詳しくない??本当でちゅか???



妄想もいい加減にしろ!!!!!

それにしても自分で歴史捏造してこの開き直り。
とんでもない奴らですな。ネトウヨとは。

一応双方ブログ主ということで名前の公表は控えたが。

この優しさに感謝して欲しいものですな。

まあ俺のブログ書きこんだ奴だったらブログ主だろうがとっくに晒し者するけど。





ネットウヨが売国奴な理由

先月沖縄の沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落した。

住宅地の真中に昼間から墜落した米軍機に沖縄の人は皆ショックを受けた。

保守系の沖縄県知事も例外ではない。

しかも米軍は沖縄県警の調査まで妨害し、沖縄県民の怒りはつのるばかりなのである。

しかるに、それに関して「ネットウヨ」いやプロ奴隷のとった言動とは。

以下ご覧頂きたい。陰湿売国奴の暴言の数々を↓

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【プロ市民】市民運動観測所 7ヶ所目【プロ家族】
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/asia/1094008113/l50

566 :日出づる処の名無し :04/10/10 13:01:50 ID:afsbUb1W
米軍ヘリの墜落現場を残せということだそーです。授業とかはどうしろと?
沖縄国際大学の学生がやっているから使える教室が減ることによる休講が
ねらいなのか(w。所詮はDQN大学だしね。

ttp://www1.jca.apc.org/aml/200410/41297.html
<沖縄国際大学 安達菜子さんからのメッセージ>

 沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落した8月13日、私は実家に帰っていたの
で沖縄にはいなかったのですが、墜落のことは知り合いからの連絡で発 生直後に知る
ことができました。「死者も出たらしい」「学生が怪我をしたらしい」などと友達か
らの情報が錯綜し、墜落の事実しか分からない中で、もしや 誰か巻き込まれたのでは
と思い、本当にいてもたってもいられない気持ちでいっぱいでした。少しでも情報が
得られるかもしれないとテレビの画面に食い入る ようにその日の全国ニュースを見ま
したが、その扱いの小ささに、本当に悔しい思いをしました。自分の大学に米軍のヘ
リコプターが落ちたという大きな ショック、しかしそれと同時に自分の周りでは何事
もなかったように日々の生活が続いていくということの間に、大きな違和感を覚えざ
るをえませんでした。 文字通り、沖縄と本土の基地問題に対する温度差というものを
身をもって感じ、これが“沖縄の問題”となってしまっている現実を改めて突きつけ
られた気が しました。



567 :日出づる処の名無し :04/10/10 13:21:54 ID:Oi4b69OT
沖縄は怠け者と逆恨みが偉くなる土地だからな(p


568 :日出づる処の名無し :04/10/10 14:34:51 ID:v2f1aNAY
>「死者も出たらしい」「学生が怪我をしたらしい」などと友達か
>らの情報が錯綜し、墜落の事実しか分からない中で、もしや 誰か巻き込まれたのでは
>と思い、本当にいてもたってもいられない気持ちでいっぱいでした。

災害時にデマに踊らされる典型だな。
ま、しょうがねぇか。こんなヤツだし。



ネット右翼とはこういう人達です。

(転載)


ネット右翼って、人のブログには一生懸命悲しいコメント書くか、コピペの荒らししたりするけど、自分でブログやって意見を発信する輩はなかなかいないんだよなぁ。せいぜい「死ぬのはおまえだ」なんて陳腐なコメントしかできない。右翼の風上にもおけない軟弱なクソ餓鬼ばかりだ。

口では勇ましいこと云うくせに、予備自衛官に登録しない矛盾。三島由紀夫があの世で泣いてるぞい。

ブログのほとんどは、リベラルなサイトが多いな。たまにネット右翼のサイトがあるが、一部の例外を除いて、コメントがほとんど無いという寂しいのが多いね。

またまた「SIGHT」夏号、宮台真司の記事より


■大量破壊兵器という大儀の消えたイラク攻撃とその支援について、米国を含めて全ての国で重大な正当性問題が起こった。ただ一国、日本のみが例外で、これまた国辱的だ。

■正当性とは何か。マックス・ウェーバーによればこれは自発的服従契機。法的なことに限らず、資格ある者が正しき手順に則り決定を下すことにより、内容に疑義あれども誰もがこれに服従せんとするとき正当性が機能する。

■内容の正しきことすなわち正当性”justificability”は、正当性”legitimacy”の一類型。内容的正しさは不可欠の条件でない。その意味では正当性は正当性よりも服従チャンスの調達蓋然性をずっと高める。

■日本のみが正当性感覚の欠如を露呈する原因の一端がマスコミにある。役人や政治家の発言を官報よろしく垂れ流す記者クラブ五系列一六社体制だ。この者どもは、周囲の奇異の目を余所に、政府のケツを舐めてサマーワにも記者クラブ的報道管制を敷いた。

■「マスコミは第四の権力」(立法・行政・司法のチェック&バランス機関)が聞いて呆れる。この「政府ケツ舐めメディア」ぶりを証明するのが、現地入りして取材する者らへの「立場可換の想像力(同感可能性)の不在」という異常現象だ。

■各国記者に散々尋ねられた。日本の記者どもの一種異様な雰囲気、政府の意に従わぬ者をあたかも非国民呼ばわりしかねない傍若無人ぶりは、何なのかと。私は日本の記者どものマヌケぶりによって恥辱を浴びたのだ。

■この手のマスコミ人どもが、気に懸けて右往左往するのが「2ちゃん世論」。私は知り合いのマスコミ人に言ってきた。「2ちゃん世論に右往左往するな。2ちゃん世論の世間的分布を検証せよ」と。

■新聞は「三人の人質家族のもとへ連日の抗議ファックス」の見出しを立てた。笑止千万。現実には八割以上が応援ファックスだ。見出しは誤りではないが、2ちゃん世論的な欲情に媚びるあさましさ。

■私はマスコミ人たちに「ブログを見よ」と呼びかけてきた。2ちゃんが、「自己責任バッシング」の嵐でも、ブログで「自己責任」をキーワードに検索すると大半が「自己責任バッシング批判」。その意味を考えよと。

■答えは、私が一年前からブログ普及を呼び掛けてきた理由に関連する。私の舎弟も大手プロバイダーが提供するブログを設計している。既に何十万人も使っている。答えは「悪貨に良貨を駆逐させないこと」。

■ブログは日記用として生まれ、デモクラティズム的な公共性に資することがわかって、デモクラットらによって改良を重ねられた。ポイントは評判システム。トラックバックを中核としつつ、コメント評価プラグインを周辺とする。

■例えば、渋谷氏が自らのブログに自説を書く。私が内容に価値があると思えば自分のブログに渋谷氏のブログからトラックバック(引用)を引く。すると渋谷氏のブログにそれが表示される。表示件数が多いほど評判がいい。観客は評判のいいサイトだけ見る。

■2ちゃんにありがちな煽りや垂れ流しにトラックバックは付かない。付いてもクソコメント。本人が寂しくなるばかりか恥さらし。見事淘汰される。評判のいいブログにもクソコメントがつくが、コメント評価プラグインで淘汰できる。

■ブログが普及するほど「2ちゃん世論」とは何かが明白になる。評判システムで生き残るには「構築されたオピニオン」が必要だ。思考停止で垂れ流される「下痢便メッセージ」は生き残れずに2ちゃんに吹き溜まる。

■マスコミ人に「ブログを見ろ」と一喝する意味は明白だろう。2ちゃんは2ちゃんであり続けるし、欲情ガス抜き装置としてはいい。だがマスコミは低レベルの欲情に媚びてはダメ。大きなオピニオン市場が別にあり、かつずっと公共的だ。

■それにしても「保守系オヤジメディア」のヘタレぶり。自作自演だ、共産党ファミリーだと騒ぐ。たとえそうでも「事柄の本質」に差異はない。保守とは「事柄の表層」に目を奪われず、深い教養を軸に「事柄の本質」にどっしり身を構える太っ腹のはずだ。

■女子供のごとき(もちろんネタです!)ヒステリーを見るにつけても保守が聞いて呆れる。「事柄の本質」を見極める教養なき者に保守を名乗る資格はないし、「奸臣どもこれ討ってよし」の気概なき者に右を名乗る資格はない。


投稿者:死ぬのはやつらだ

ネットウヨが敵前逃亡した瞬間

以下は、ネットウヨが

「証拠見せろよ。何時何分何秒地球が何回回ったとき???」

と絶叫したにも関わらず、動かぬ証拠をみせられ、敵前逃亡した貴重な瞬間です。
尚、このネットウヨそれ以来どこにも見かけないそうです。

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人肉食を勧めた 陸軍国賊参謀 辻正信

人間が人間を食べる・・・。

 たしかに、聞くにいたましく恐ろしい話である。耳を塞ぎたくなる。聞いた話をそっくりそのまま耳から捨て去りたい衝動にかられる。

 人間が人間を食べたことについて、元後方参謀中尉からこんな話を聞いた。  「アメリカハムっちゅうてね・・・アメリカ兵の人肉を食べたことがありましたよ・・。飛行士でした。イギリス軍に配属になっておった兵士です。単座偵察機できたのを撃ち落としたんですわ。ところが、墜落したところにいったら生きておったんですね。参謀がすぐに調書を取って資料を作った。

 その後ですよ・・・おまえ、川で体を洗ってこいといって洗わせましてね、その後、そいつの首をはねた。辻正信参謀でした。死んだ体の肉をそぎ、腿の肉を塩漬けにしたんです。  わたしがそれを知ったのは、一カ月ほどしてです。瓶の中に入れて落とし蓋をし、その上に石がのっけてあった。その塩漬けの腿の肉を取り出してジュージュー焼いて、おまえも食べろっちゅうわけですよ。焼く前は、薄いきれいなピンク色をしておった。私はとても食べられん、かんべんしてくれって言いましたら、敵愾心が足りんと怒られましてね。辻参謀は、作戦主任参謀で、強い人だった。戦況の偵察に、自分で第一線まで出かけていって確かめる行動力のある軍人でしたよ。日本が降伏すると知ると、なぜ最後まで戦わんのかと、あのときはそりゃ大変でしたわ」

(西野留美子「従軍慰安婦と15年戦争」明石書店)より

日本の兵隊で敵の捕虜になるような腰抜けは一人もおらん。そのような時には、「死して護国の鬼になっておる」と云って引取らなかったのが関東軍参謀の辻正信である。石川県出身、関東軍参謀として、ノモンハン事件で強硬論を主張、一個師団壊滅の大敗をもたらす。ところが、この戦闘の責任者である辻正信少佐は、いったん転任したのち、東京の参謀本部の要職に復帰し、大東亜戦争の作戦指導に当たったのだ。あの、ガダルカナルの戦いの際、参謀として陸軍を指揮したのも、辻正信。 戦後参議院議員に。そして、1961年ビルマに行って行方不明になっている。
投稿者:死ぬのはやつらだ at 12:44



ライトバック


チソコ
後方参謀中尉ってなに?
参謀って、少佐以上の人しかいないはずだけど。
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 07:41:13



参謀って、少佐以上の人しかいないはずだけど??

いないはずなのはお前の脳みその中だけ
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 08:45:25





チソコ
参謀って、どういう人がなるか知ってますか?
単に、軍隊の階級のことすらわかっていない奴が作った作り話だと思いますけどね。

たまに、大尉の参謀ってのは、聞いたことがあるけど、それだってかなり珍しいのに。

一応、証拠です。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/sosikizu/D016.htm

帝国陸軍の編成表で、後方参謀・○○中尉なんて書いてあるのがあったら見せてください。

あと、
「イギリス軍に配属されていたアメリカの飛行士」ってのも、太平洋戦線ではいないと思いますけど。
逆なら、わかりますけどね。
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 12:55:51



↑馬鹿です
旭輝雄(元海軍第22特別根拠地隊部内限砲術参謀

その時はまだ私は中尉だった。「中尉の分際で」と言う事もあ
ったが、4月14日に「旭中尉は明日、第二南遣艦隊(以後、二南遣と略記)司令部に出頭せよ」軍命を
受けた。二南遣司令部に出頭すると22根司令部付きとなるための幕僚教育を受けた
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 20:53:09



(秦郁彦「昭和史の謎を追う(下)」文芸春秋)
千葉大の秦教授は、戦時中の父島事件を中心に、皇軍のカニバリズ
ムを次のように分析しています。

           -----------------------------
  第二次大戦でカニバリズム(人肉食)が登場するのは、太平洋戦線の日本
軍だけのようだ。大小の離島に置き去りにされ、飢餓の淵をさまよう戦争は、
日本軍にも初経験であった。200万を超える戦没者の7割前後が広義の飢餓
によって倒れたとする試算もあるくらいだが、実数は確かめようもない。
  指揮系統が切れ、軍規が崩壊した前線の末端でカニバリズムが横行したと
いう風聞は、決して少なくない。ニューギニア、ガダルカナル、フィリッピン、
インパール戦線の従軍記には、この種の内輪話がよく出るが、事柄が事柄なの
でほとんど間接話法で語られている。

  東京裁判には、ニューギニア戦線で1944年12月、第18軍司令官か
ら「連合軍の屍肉を食うことは許すが、友軍の屍肉の場合は処罰する」旨の軍
令が発せられ、該当する4名の兵が処刑された事実が報告された(1946.12.11
法廷記録)。
  それ以上の詳細は模糊としてつかめないが、カニバリズムが連合軍の法廷
で裁かれたのは父島事件だけであり、それも飢餓という極限状況下の事件でな
かっただけに人々を驚かせた。
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 20:58:08



陸軍初の軍閥 桜会


結成は昭和5年の9月頃であったと言われる。
発起人は橋本欣五郎(砲兵中佐)、坂田義郎(歩兵中佐)、樋口季一朗(歩兵中佐)などの10数人であった。
なぜ、わざわざ階級まで書いたのかというと、桜会は完全なる少壮幕僚によるグループであり、具体的に言うと中佐クラスまでしか会にはいることは出来なかったのだ。
昭和陸軍初の派閥である。まぁ今まで一夕会とかあったが、一つの組織的な政治活動などを行ったのは桜会が初めてである。

結成当初の会員数は96名であった。
彼らを配置別に分類してみると

■陸軍省 9名
■参謀本部 38名
■教育総監部 2名
■陸軍大学校(在籍中) 15名
■憲兵司令部 7名
■そのほか 25名

となっている。

参謀本部にこれだけの人員がいるのはすごいことである。
桜会はほとんど参謀本部所属の陸大卒少壮将校(中堅幕僚)によって構成されていたと見ていいだろう。
ついでに、桜会の者で陸大を出ていない、陸士あがりの課員が2人いる。秋草大尉と天野中尉である。
この二人は陸大を出ていないのに参謀本部に配属されたということから相当な実力をもっていたようである。
投稿者: ゲスト at 2004 年 10 月 08 日 21:04:59